写真を使った園主の日記です。

2023年9月17日/10月25日 信楽焼 八十八景(12) 第23回 セラミックアート in 信楽焼 陶芸の森 太陽の広場

2023.10.28

2023年9月17日/10月25日 信楽焼 八十八景(12) 第23回 セラミックアート in 信楽焼 陶芸の森 太陽の広場 はコメントを受け付けていません

 

信楽焼 八十八景(12)

第23回 セラミックアート イン 信楽焼 陶芸の森 太陽の広場

信楽焼伝統工芸士 藤本秀作品集
日時 2023.9.16〜18

 

 

信楽焼は鎌倉時代に大陸から穴窯焼成が伝わり焼成されたのが始まりとされています。

その鎌倉時代に茶の文化が禅宗と共に中国から伝わりました。

当時は栄西の「喫茶養生記」が、鎌倉幕府将軍源実朝に送られたように薬用としての文化でした。

禅宗寺院では茶のスタイルとして「闘茶」が行われ、使われた道具は天目茶碗だったのです。

 

当時は最高の文化サロンであり、そこに参加できることが
最高の文化人だったのです。

 

時代は下がり室町時代、

八代将軍足利義政は日明貿易による渡来品を扱う役所に唐物奉行を作り、同朋衆に当たらせたのです。

 

そしてその整理の基準となるのが秘書「君台観左右帳記」成るものであり、

その第一位には「窯変天目茶碗」と記されていたのでした。

 

唐物を飾る場所として床の間様式ができたのもこの時代です。

 

椿の解説の中に記しておりますが再度!

 

義政は銀閣寺東求堂に四畳半の同仁斎を作り、

書斎であっても書院建築の茶室様式となっており、そこで天目茶碗を使用したのでは。

東山御物として今に伝えられているかと思います。

 

その唐物の茶道具を最高ランクにして
戦功のあった武将に土地の代わりに恩賞として渡したのが信長だったのです。

 

そして黄金の茶室を作ったのが秀吉だったのです。

 

そのような長い歴史の流れの中で、革新的なワビサビの世界を作り出した茶人の人々があったのです。

 

その茶人の人々の目に留まったのが、信楽焼の日常雑器だったのです!

 

穴窯で焼かれた日常雑器にはそれこそ火色、ビードロ、焦げの焼き物だったのです。

それらを見て、茶陶にオーダーしたのが侘茶を大成した利休を始めとする当時の茶人でした。

 

それからが信楽焼と茶陶の出会いだったのです

 

 

続きあり!!

 

 

 

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撮影日 2023.9.17/10.25
投稿日 2023.10.27

 

 

 

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