写真を使った園主の日記です。

2022年12月17日・2023年1月2日 隣接する『小野城跡!』 発掘調査の地元への説明会!

2023.01.05

2022年12月17日・2023年1月2日 隣接する『小野城跡!』 発掘調査の地元への説明会! はコメントを受け付けていません

 

 

隣接する『小野城跡!』

 

発掘調査の地元への説明会!

 

 

 

正月二日

 

戦国時代の城跡!

12月17日 京都市埋蔵文化財研究所職員による現地説明会が行われました。

 

この小野城跡の発掘調査は今回で3回目!
それまては竹藪!

 

その調査の結果、中層部は室町時代!

下層部は古墳時代〜弥生時代と!

 

石田精華園が所在する石見町!
古くは古墳時代からの集落!

おそらくは大陸からの渡来人の集団が住み付いたのでは?

 

この辺りは古くから開けた土地!

第26代継体天皇は518年!
弟国宮(おとくにのみや)に安宮。

その宮跡は、歩いて行ける長岡京市井ノ内町!
石田精華園ハス園から数百メートルの距離!

 

そして1Kmにも満たないところ、淀川の支流、桂川に近づいた向日市寺戸町には、五塚原古墳!

奈良県にある卑弥呼の墓とされる箸墓古墳と同年代!
古墳最初期といわれる3世紀のこと!

 

旧乙訓郡には、8世紀までの多くの古墳がみられ、国の史跡指定を受けている!

 

そして大原野の奥まったところ、西山の麓には石作町という地名があります。

石棺を作った石作氏の集団が住んでいたとされています!
何百と石棺を作った石作氏はやはり渡来人?

当時は一大勢力だったようです!

弥生時代の代11代垂仁天皇后 日葉酢媛命が亡くなった際に、

石棺を献上したことにより、石作大連公の性を送られたという。

 

時代は下がって、桓武天皇の長岡京遷都!

大極殿跡は現在の向日市に!

 

おそらくは渡来人の集団が淀川の水利をバックに一大勢力に!

古代より豪族が繁栄した土地だったのでは?

その豪族をバックに!
弟国宮、長岡京が?

 

そしてその豪族が祀ったのが向日神社!
その祭神は大原野灰方町に鎮座されている大歳神社!

大歳神を勧請しているのです!

この事を、考えると元の勢力は灰方、石作当たりでは?

 

灰方町の地名はその昔、石灰を焼いた所と言う!
そしてその石灰の出所は、
その奥の今は出灰(ゆずりは)という地名!

おそらくはこの技術者集団も大陸からの渡来人では?

 

石灰は石棺を塗り固めるに使用。

 

後に漆喰の原料として?朝廷に献上!
この功により神階を賜ったのでは?

その石作神社!

平安時代の859年.神階は従五位下!
石作神社は全国に6社。

叙任されたのはこの石作神社のみという!

 

そして灰方を中心とした、その渡来人達が祀ったのが大歳神社!
平安京の神々よりかなりの古社では!

 

おそらくは初期の渡来人達がこの乙訓郡を開いたのでは?
ここ大原野も、その昔は乙訓郡!

 

石棺を作った集団も、古墳時代の終わりを迎えると、勢力が無くなったのでは?

その祭神を祀った従五位下の石作神社。

今は大歳神社に合祀されて祀られています!

 

 

 

追記

 

その間に何があったのか?
今となっては知るよしもありません!

 

考えるには大歳神社を祭神とする勢力と、石作神社つまり石作氏との勢力争いに異変が起こり、
結果として石作氏の祭神を取り上げられてしまったという歴史的背景があったのでは?

 

その豪族はやはり秦氏だったのでは?

今でも「畑」さんと言う苗字の方が沢山おられす。

 

旧乙訓郡の開発は秦氏としか?

そして石見町の祖先は?

元々の縄文人なのか、渡来人なのか?

人骨が残っていないだけに!

長々と書いてしまいましたが、今は農村地帯!
その昔は栄華を極めた土地だったようです!

 

石田精華園、この地へ引っ越し、営業して35年!
郷土の歴史が少しはわかってきたかもしれません?

 

 

 

#小野城跡
#大原野石見町
#弟国の宮
#継体天皇
#継体天皇ゆかりの地
#長岡京大極殿跡
#五塚原古墳
#大原野大歳神社
#石作氏
#石作神社
#秦氏
#秦氏渡来人を見る

 

 

#石田精華園
#石田精華園楽天市場店
投稿日 2023.1.2
撮影日 2022.12.17
追記日 2023.1.2
再追記日 2023.1.3

 

 

 

インスタグラムはこちら

 

 

 

関連記事

コメントは利用できません。

カテゴリー