写真を使った園主の日記です。

2023年1月12日 椿の花 早咲き椿(44) 『数寄屋 (数寄屋侘助) 』 その(2)

2023.01.13

2023年1月12日 椿の花 早咲き椿(44) 『数寄屋 (数寄屋侘助) 』 その(2) はコメントを受け付けていません

 

 

椿の花 早咲き椿(44)

『数寄屋 (数寄屋侘助) 』 その(2)

 

 

 

 

 

歴史的に少し混乱した数寄屋椿!

 

 

当初、椿の苗を仕入れるには、あちらこちらと回りました!
するとこの数寄屋と言われる品種!

知る限りでは数寄屋の名前では無いのでした!

ポットも植木苗も!

前回の数寄屋その(1)では、その辺りのことを解説しているかと!

 

関東数寄屋!

数寄屋のことをいつの頃からか、中部地方では関東数寄屋と!
それまでは数寄屋といえば、現在の初雁を!

 

 

江戸時代の文献!

「椿伊呂波名寄色附」に「数寄屋 薄紅一重中輪紅の筋少々有りあらあらと有り花形桔梗の如く茶せんしべ初春より花咲」

『筋少々有り』
とあり現在の初雁では?

 

恐らくは初雁がその当時「数寄屋」と呼ばれ、流通していた事が後々中部地方で混乱することに!

 

その後、

1879年伊藤伊兵衛『椿花集』の〈早咲きの部〉に

「移白一重小リン」と有ることから、この時代には混乱が整理されていたようです。

 

なぜ中部地方では整理が行われなかったのか?
今となっては謎です!

 

結果として、恐らくは昭和の時代に?

混乱を解決することにより、関東数寄屋と!!

苦肉の策だったのでは?

 

まだ当時としては、初雁を数寄屋と!
本来の数寄屋をなんと呼ぶか?

 

初雁、数寄屋は早い時代、
江戸時代初期には作出されていたのでは?

 

有楽の直系の系統?
ワビスケツバキの人気と需要は相当なものだったのでは!
侘助椿と茶道の相関関係!

 

織田信長の弟、茶人であった織田有楽斎が家康に招かれたのは、当時の最高の文化が茶道!

 

茶道の指南に!
武士階級の教養に必要!

 

数寄屋坊主と言われるように、接待には欠かせない作法!

ちなみに有楽斎の屋敷跡が有楽町と!

 

 

当時の園芸が、椿の新品種を生み出すまでに!
稀にしか種子ができない有楽椿!
当時相当な熱の入れようだった事がわかります!

 

 

 

最後に戸外で管理している関係で、この季節寒さで数寄屋本来の咲き方には至っておりませんことをお詫びします。

 

 

 

 

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投稿日 2023.1.12
撮影日 2023.1.12

 

 

 

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