2022年11月22日 信楽焼 八十八景 その(3) 街中に見る風景『登窯(のぼりがま)』
信楽焼 八十八景 その(3)
街中に見る風景『登窯(のぼりがま)』
16世紀に朝鮮半島より、朝鮮人陶工と共に伝わる。
今回は「Ogama」さんをご紹介。
それまでの古墳時代に大陸から伝わった穴窯に変わり、画期的に生産性が上がった焼成法。
大量生産が可能となった。
当時の大消費地であった京、大阪に近接している好条件。
宇治茶を江戸将軍家へ運ぶ茶壺は、信楽焼。
やはり隣接していたからでは、と言うよりも鎌倉時代に宇治に茶の生産が始まり、
その保存に信楽焼の壺の生産も同時期。
一心一体の関係が長く続いたことでは!
そして日本文化の成熟期、室町時代ですが茶の湯の成熟期にもあたり、
信楽焼が日常雑器から大豪商の心を満たす茶陶の世界へと、
迎えられたのは、やはり蛙目粘土があったからこそですね!
先に投稿しています「信楽焼八景」をご参照願います。
#信楽焼
#信楽焼き
#登窯
#登窯焼成
#薪窯
#薪窯焼成
#茶壷
#茶壺
#茶の湯
#茶道
#茶道具
#茶道好きな人と繋がりたい
#茶陶
#茶の湯を楽しむ
#蛙目粘土
#信楽焼八景
#穴窯
#石田精華園
投稿日 2022.11.22
撮影日 2022.11.22
↑