写真を使った園主の日記です。

2024年5月2日撮影 信楽焼 八十八景 その(13)

2024.06.07

2024年5月2日撮影 信楽焼 八十八景 その(13) はコメントを受け付けていません

 

 

 

信楽焼 八十八景 その(13)

 

第18回 信楽焼作家市 2024

2024年5月2日(木)〜5日(日)

– 滋賀県立陶芸の森 太陽の広場 –

 

 

 

 

キャプションの引き続き!

 

 

江戸時代初期に再建されたとの事。

 

おそらくは慶長11年(1616)豊臣秀頼が寄進し、奉行片桐且元が当たったとされる事業!

その折大阪城に居た織田有楽斎がこの再建に携わり、この茶室を設計したはず!

そして有名となった椿 「有楽」を植えたのは有楽斎その人だったのでは!

 

以前当方のInstagram「等持院」で、椿有楽は有楽斎が好んだのでは無く、

義政が好んだ椿有楽だったからです。と解説!

 

今日太郎冠者が当京都では有楽と親しみを持って呼ばれています。

その根拠は有楽斎が好んだとの事。

 

でも有楽斎が晩年過ごした建仁寺塔頭「正伝院」今は移転して現在地へ。

その「正伝院」には椿有楽が伝わったのでしょうか?

 

再度言いたいのですがら椿有楽は中国渡来、つまり唐物椿だったからです!

 

 

話しは戻って、

 

どこまで復元できたものか?

有楽斎も疑問の残る所であっとと思われます。
そこは天下人の実弟、限り無く考えたのでは?

 

それはともかくも当時使用された茶碗は唐物全盛期!

 

足利義政東山御殿内の装飾に関して同朋衆による秘伝書

「君台観左右帳記」の第一位に記されている、あの「窯変天目茶碗」

 

現在いずれもが国宝!

それを使っての義政のこの茶室での喫茶。

 

銀閣寺の国宝東求堂「同仁斎」では炉が切られていたとか!

 

「窯変天目茶碗」 東山御物となっている「油滴天目茶碗」等

今は見ることない茶碗も数多く将来されたのでは?

 

当時日常雑器であった信楽焼が茶人の人々に評価されるには、

今少し時間が必要でした!

 

大名茶から草庵の茶へと時代が変わらなければならなかったのです!

 

 

 

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撮影日 2024.5.2
投稿日 2024.6.4

 

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