2020年3月17日 加茂川の真黒石の参道 大徳寺へお参り。 その3、大徳寺本坊へ。 楽焼 植木鉢販売
楽焼きといえば楽茶碗。その楽焼きの窯元といえば楽家。その楽家の先祖は中国から渡ってきた陶工あめや。頃は室町時代では。京の都に住み、そして加茂川の加茂真黒といわれる黒石を釉薬にすることを考えられたのでは。 | |
現在、加茂真黒の石を見ようとすれば水石の世界でしか見ることはできないのではと思われました。もちろん加茂川に行けば見ることができます。楽焼きの釉薬とりわけ黒楽といわれる加茂黒の原料はどんな石であったのか、長年の疑問でした。 | |
それがこの大徳寺へ来れば、そして参道を歩けばいとも簡単に見られるのでした。 | |
大徳寺が応仁の乱で消失し、一休宗純が復興、豊臣秀吉や千利休で有名な山門等の伽藍ができた頃にこの参道もつけられたのではと思われます。 そしてあめやの子-初代長次郎が楽茶碗を完成させたといわれるのですが、その頃の加茂川には釉薬となる加茂黒の原料となる石が、ごろごろ川床にころがっていたことでしょう。 |
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この参道には川床に転がっていた頃の石ではと思いながら見入りるのでした。 | |
話しは変わって本日は大徳寺の伽藍の中心と為す宗務本所が特別公開されました。拝観させていただくことに。 | |
禅宗寺院の代表的建物の一つである大庫裏から拝観受付でした。撮影はここまで。方丈から法堂へ。そして唐門と見せていただき、法堂では天井画である「雲龍図」の真下「鳴き龍」も体験させていただきました。庭には一面にヤマトフデゴケが見られるのでした。 |