大徳寺 千利休が山門を修復した折、その千利休の木像を安置したことにより、秀吉の怒りを買って利休切腹となったといわれる有名なお話し、或はトンチで有名な一休禅師が大徳寺を復興したお話し。そして千利休と関係が深かったというように茶道と縁の深いことから「大徳寺の茶面」と呼ばれた歴史のある大徳寺です。本日は数ある塔頭の内「高桐院」へお訪ねすることに。
|
|
大徳寺総門。 旧大宮通りに面しており、お参いりの際はこの総門から。
|
|
参道からすぐに勅使門を仰ぎながら「龍源院」の塀の下を見ますとウマスギゴケが良く育っているのでした。日陰を好み、水を好むという性質をよく現しています。
|
|
参道からはこのように見られます。
|
|
山門です。千利休の有名なことは歴史で学びますが、現在は通れません。
|
|
その山門を過ぎたところはよく苔が育っています。
|
|
次いで仏殿です。
|
|
その仏殿の前庭にもウマスギゴケ等いろいろな苔が見られます。
|
|
本日の目的の「高桐院」さんへ。高札には肥後の太守細川家の菩提寺であることが案内されています。
|
|
参道の両脇には苔がよく育っています。
|
|
朝日を受けながら逆光で、うまく山門が撮れたでしょうか。
|
|
山門に入りますとそれはそれは美しい苔。よく見ますとツヤゴケです。
|
|
ツヤゴケの庭とはこのような感じになることを始めて知りました。石畳とよく育ったツヤゴケとの調和がおりなす参道です。
|
|
露地ともいうべき通路、空間を狭めた作庭家の意匠が込められた庭であることがよくわかります。そしてそこにもコケがびっしりと揃うように生えています。
|
|
拝観順位としてまずは本堂へ。その本堂南の間なのでしょうか、達磨大師の描かれた掛軸が掛けられていました。床の間が飾られるようになったのは室町時代、それより以前の鎌倉時代には書画はこのように吊り下げられ鑑賞されたのではと思われ、その時代が伝わっていることがわかります。
|
|
本堂前にある南庭。本堂南の間から室越しに
|
|
そして本堂より室越しに細川家代々の墓所も。
|
|
秋の紅葉は実に見事なお庭となっておりますが、今は冬。静寂なわび、さびを感じさせるこの季節もよいのでは。
|
|
本堂には茶室も設けられておりました。
|
|
その、床の間の花入れには有楽椿が万作とともに生けられていました。
|
|
墓所へお参り、細川三斎公とガラシャ夫人の墓石です。
|
|
その奥には細川家歴代之墓。
|
|
その墓所には椿雪中花が植えられているのでした。
|
|
|
|
高い所に咲く雪中花。細川家墓所と融け合ってわびを感じさせられる椿です。
|
|
苔むしたこの墓所、塀越しに見なれたコケが育っているような。
|
|
よく見ますとホウオウゴケ、おそらくはトサカホウオウゴケでは。このような所で見られるとは。
|
|
このように塀に沿って育っているのでした。
|
|
書院の庭には灯篭が一基、長い歳月の間に被われた苔が見られるのでした。
|
|
どうもハイゴケのような、雨の後は実にきれいに化粧したように見えるのでは。
|
|
足元には鈴成にたくさんの赤い実をつけた一両、つまり植物名アリドオシが見られるのでした。
|
|
これだけの実をつけたアリドオシを見るのも珍らしくもう一枚撮影。
|
|
茶室鳳来の西部露地の降りつくばいには加藤清正公が朝鮮より持ち帰ったとされる朝鮮王城の礎石を使って袈裟型の手水鉢が置かれていました。
|
|
その手水鉢にも様々な苔が見られるのです。
|
|
書院。千利休居士の邸宅を移築したとされる建物を見せていただくことに。
|
|
その奥には二帳台目松向軒が見られます。この茶室は利休七哲の細川三斎公の手で建立されたとされる名茶席です。
|
|
帰り際には参道から茶室らしき建物。そこには苔むした門が見られるのでした。
|
|
どうもハイゴケのようです。年月を感じる苔です。
|
|
そのようなことで高桐院さんの一日でした。
|