写真を使った園主の日記です。

2020年2月11日 椿の花 早咲き椿(50) 『雪中花(昭和侘助)』 その(2)

2023.02.19

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椿の花 早咲き椿(50)

『雪中花(昭和侘助)』 その(2)

日本の文化を支えた椿の花
(於:大徳寺 高桐院)

 

この季節咲き始める雪中花!

京都の厳寒期とも言えるこの季節に。

 

凛と咲いてくれる雪中花!

 

ここは肥後細川家の墓所。

藩祖 細川幽斎公に始まる歴代の藩主の墓
墓所の入り口には二代藩主 細川忠興(三斎公)とガラシャ夫人の墓

 

そこに雪中花!

 

激動の時代に生きた忠興。
利休の高弟であった三斎公。

三斎公が作られたという数寄屋の茶室が高桐院に。

 

その三斎公が好んだ椿の花が雪中花だつたのか?

或いは雪中花が生まれたのはもっと後世なのか?

歴代藩主の中で、取り分け雪中花が好みだった藩主がおられたのか?

いずれとも。

 

そこに雪中花の花が見られるのはなんらかの縁があったのでは?

 

ワビスケツバキの銘花として数えられた時代があったのかも知れません。

 

何しろ雪中花は関西銘柄!

古くより鑑賞された歴史があったのでは。

 

 

話は変わり、

 

方丈の一室に掛け軸が掛けられていたのですが、ここ高桐院は禅宗寺院!
床の間ができたのは室町時代!

鎌倉時代より唐物と言われた美術工芸品はこうして飾られたのでは?

 

そして抹茶は闘茶として茶会が行われ、使われた茶碗は天目茶碗!

 

当時の文化は中国から。
卑弥呼の時代から長きに渡り文化を輸入。

 

茶花椿、元祖有楽(太郎冠者)は輸入椿。

 

 

考えて見ると確かに!

雪中花は昭和侘助と改名され流通しております。

 

根拠となる日本椿協会編 最新日本ツバキ図鑑

そこには「初雁、昭和侘助と改名」とあるだけ!

昭和侘助の解説どころか雪中花の解説は無し!

 

 

二度目となりますが。

最後の画像は大徳寺山門。

 

 

利休切腹となる逸話の残る歴史。

 

 

 

 

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投稿日 2023.2.18
撮影日 2020.2.11

 

 

 

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