2016年10月9日 信楽焼陶器市へ行ってきました。
仕事柄遅くに出発しますと、信楽インターへ降りてから車は大渋滞。 いたし方なく旧道を走りましたところ思わぬ窯に出くわしました。 |
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登窯です。 旧街中を通り抜けて行きますと数々の窯元が見られましたが、こちらは急ぐ身、見せていただくのはまたの機会にと思いながら走っていますと、突如として登窯の跡。 車を留め見せていただくことにしました。 丹波立杭焼の穴窯はいやという程見てきましたが、信楽焼は初めてのことでもあり、つい時間をかけてしまいました。 |
窯の中を覗きますと、昔焼かれてその頃のまま保存されており、足元には灰が分厚く積もっていました。
この棚板 陶板というそうですが、なかなか人気があって手に入りません。 |
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日本の焼き物が飛躍的に延びた連棟式の登窯。
おそらくは秀吉が朝鮮出兵し、かの地の陶工を諸大名が連れ帰ったのは有名な話です。そして諸大名が保護したため、朝鮮の陶工は母国では低く抑えられていた身分社会であったため、帰国せず日本に残ることを希望したとか。 そのことが今日の日本の焼き物を繁栄させた源流かもしれません。何しろそれまでは穴窯ぐらいの窯しかなかったのではと思います。 |
そしてその釜の中には昔焼かれていました無釉の花入れが当時のまま置かれていました。 たぶん当時を物語るよき文化財の役割として保存されているのでしょうか。 そして当時の信楽焼登窯は無釉であって焼き締めの焼き物であったことがよくわかります。 各種の釉薬を使っての焼き物は数少なかったのではと思います。 |
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そして遅くなりましたが「かみ山陶器」さんの催しである多肉植物販売です。 昨年は弊園が出店させていただいたのですが、本年は人手が足りずお断りしなければなりませんでした。 よく売れているとのことでした。 |
こちらはメダカ販売、 あまりの売れ行きに昨年はびっくりしました。 メダカの人気はまだまだ衰えを見せません。人気が続くことを希望いたしております。 |
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少し遅かっただけに人影はまばらでした。 人気の無い陶器ではありませんので、そこをよく言っておきます(笑)。 お店の信用にもかかわりますので。 |