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信楽焼 窯跡

1. 丸又窯 2. ogama(おおがま)  

2019年9月3日   1. 丸又窯
今では焼かれなくなった登窯。遺跡として保存されています。

2016年10月9日   2. ogama(おおがま)
登窯です。
旧街中を通り抜けて行きますと数々の窯元が見られましたが、こちらは急ぐ身、見せていただくのはまたの機会にと思いながら走っていますと、突如として登窯の跡。
車を留め見せていただくことにしました。

丹波立杭焼の穴窯はいやという程見てきましたが、信楽焼は初めてのことでもあり、つい時間をかけてしまいました。

日本の焼き物が飛躍的に延びた連棟式の登窯。
おそらくは秀吉が朝鮮出兵し、かの地の陶工を諸大名が連れ帰ったのは有名な話です。そして諸大名が保護したため、朝鮮の陶工は母国では低く抑えられていた身分社会であったため、帰国せず日本に残ることを希望したとか。

そのことが今日の日本の焼き物を繁栄させた源流かもしれません。
何しろそれまでは穴窯ぐらいの窯しかなかったのではと思います。

古い窯ですが、いつの頃から焼かれたのか。そして昭和のいつ頃までこの窯を使って焼かれていたのか。連房の横にはその頃使っておられた道具が見られます。大きな「立ちざや」は今でも人気があって色々な用途に使われています。
窯の中です。棚が組まれ足元には薪の燃えかすである灰が焼かれていた当時のままの状態で残っているのでした。下の窯より順番に薪が入れられ、炎が上の窯へ昇って行くのですが、その炎が昇って行く穴があってなる程です。そして高音に上げるべく薪をどんどんくべられて行くのですが、その量は残った灰の量でわかります。
棚の上段にその当時焼かれた器。多分壷ではと思う焼き物が焼き上がった状態で残されています。今流でいうなら保存ですねえ。「コゲ」という呼称はよく聞きますが足元に置かれた器等がこの灰によって生まれるといわれています。つまり薪がどんどんくべられていくのですが、その燃えた薪が灰になって行くのです。赤々と燃えている炭を「おき」といい、そのおきによって焼きものが焦げて行くのです!それをコゲといって観賞の対象としているわけです。
燃えていく中でこの灰が高温によって溶けて行くのですが、溶けてガラス状になったものをビードロと呼んでいます。或は灰釉として観賞の対象としているのです。そしてこの窯の中で様々な現象が起こりますが、総称して窯変と呼んでいるのではと思います。
そしてその釜の中には昔焼かれていました無釉の花入れが当時のまま置かれていました。
たぶん当時を物語るよき文化財の役割として保存されているのでしょうか。

そして当時の信楽焼登窯は無釉であって焼き締めの焼き物であったことがよくわかります。

各種の釉薬を使っての焼き物は数少なかったのではと思います。

2019年8月19日  ogama(おおがま)
明山窯のアンテナショップとして古い登り窯を開放されています。
ひさしぶりに訪れましたOgamaさんの登り窯。焚き口からの入り口から入りますと、狸の石膏型が置かれていました。この明山窯さんは狸の置き物を作っておられるのでした。
焚口から登窯を見上げましたところです。
窯を焼いておられた頃には無かったのはと思われるのですが、登窯うぃ開放されるに及び、階段をつけられ、整備されたかと思います。その階段にはこの登窯が長年使用されていたと思われるレンガが使われていました。なぜこのレンガが気になるかといいますと、このレンガ黒く焦げています。つまり登窯でいうところの「コゲ」です。こんなところにも見られます。
その登窯の窯内部です。下段は長年の薪の使用で黒く焦げています。下段は壁面はやはりコゲの色です。
庭にはその頃使用されていた陶板が敷かれています。よく見ると「緋色」したものもあれば「コゲ」も見られてます。この陶板にも窯変の数々がみられます。
2019年9月3日  ogama(おおがま)
もう少し取材したく、仕入れを兼ねて信楽へ。 ogamaさんには帰り道立ち寄らせていただきました。
往時の立ちざやです。使用されなくなって石垣の上に積まれています。
上の駐車場から登窯を見降ろしたところです。
最下段の窯です。少し小さい窯です。向こうに見える窓は薪をくべる穴です。
壁面は長年焼かれた結果、土が焼けています。
そして長年の炎と炎に含まれる灰が溶けてビードロ状になっているのでした。
ガス釜にはその頃焼かれていた壷が展示されていました。この壷は「コゲ」ですねえ。
窯変がよく現われているのでは。高温の炎によって焼かれ、その炎の当り具合が文様となっているかと思われます。
「緋色」といわれている焼きものになっています。
窯にもどって2室目です。少し大きな窯となっています。
薪をくべる関係でしょうか。左側の側面のみがビードロ状になっています。
何番の窯だったのか、かなり大きな室となっておりしかも窯の内部がよくわかります。
下の窯から上の窯へ炎が上がって行く様がよくわかります。おそらくはこの穴が窯内部の温度を高温にする微妙な作りになっているのではと思います。

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