花ハス・花蓮の種類 園主の蓮うんちく
そもそも、なぜこの題目にて、弊園が何の見識もなく、ましてや永年に渡り、ハスに対して情熱をかたむけておられる諸先輩に対し、非礼をかえりみず、独善と偏見の解説をしなければならなかったかといいますと、ひとえにハスに対し、勉強されたい新しい数奇者に、少しでも御理解を深めていただきたく思う次第であったからです。
そしてその疑問をなげかけていただいたのが、「蓮の話」(かど書房)の第四号にある「花蓮の品種分類」と題して、香取正人氏が投稿されていたことです。
その文中の前半には、中国の特異な品種について解説され、末尾に、
「国内栽培種で疑問のある種」として |
中国古代蓮 日本での栽培種は葉の表面がビロード状で、大賀蓮や行田蓮と差が少ない。中国でのデータ及び導入品種は、俗に言う『ザラ葉』で表面がざらざらで、明らかに日本で中国古代蓮と言われている種とは異なる。日本へ種子で導入されたための違うのか、あるいは他品種と、いつの時期にか入れ替わってしまったのか、分からない。 孫文蓮 孫文が持ってきた種子から育成されたものだが、いつの時代からか酔妃蓮が孫文蓮になってしまっているような気がする。古幡光男氏は『孫文蓮について』の中で[『花蓮一九七二年 北村・阪本共著』 の中で酔妃蓮は孫文蓮であり~]と記述されており、一九六二年に孫文蓮が初めて開花してから十年たらずの間に両者の判別がつかなくなっていたようだ。 一天四海 一重の斑蓮。『花蓮』・『蓮の文化史』(前出)の分類でも、一天四海と大名蓮は同一種とされているが、岡山後楽園で栽培されている大名蓮は、不忍池斑や巨椋斑同様、絞りの入り方が少ない。しかし、一天四海は、天竺斑のように大きく絞りが入っている。一天四海は大型種、天竺斑は普通種と大きさの違いで分類されているが、顕著な差は認められない。当園では岡山後楽園のものを後楽園での呼び名ビおり「大名蓮」、一般に栽培されている方を一天四海としている。通路を挟んで両者を栽培しているので、その差をご確認頂きたい。どこで、いつから異なってしまったのでろう。 |
と上記三品種について疑問をなげかけておられます。 (2009/07/15)
その1 花ハス「一天四海」と「大名蓮」について
2007/09/15 掲載
弊園の通販の当初の解説(花蓮コレクション)は誤り(※1)です。
(※1)通販の解説(花蓮コレクション)は以下のとおりです(2007/09/15に解説修正いたしました。) |
(寛永九年(1632年)鳥取藩主池田光正公が岡山へ移封される折、「一天四海」も現後楽園へ移植されたとのこと。 この「一天四海」の歴史は相当古くまで遡れます。大鉢(最低でも尺鉢)作りの上、肥切れさせないことが、ポイントです。) |
「一天四海」と「大名蓮」は別種です。
従来諸説があり、
1 | 「一天四海」と「大名蓮」は同一品種。 |
2 | 鳥取藩主 池田光政公が移封される折、岡山へ持参したのが「一天四海」といわれる品種であって、別名「大名蓮」とも呼ばれている。 |
3 | 鳥取県湖山池に自生している蓮、岡山後楽園に咲く蓮は「大名蓮」といわれているが、別名「一天四海」と呼ばれている。 |
4 | 「一天四海」と「大名蓮」は元々別種であり、岡山後楽園でも2種類が植えてあるとの説。 |
以上、諸説が色々ありましたが、弊園では大名蓮を入手できず、従来通りの解説をしておりました。
それにて、疑問をもちつつ解説しておりましたが、結論からいいますと別種です。
1 | 「蓮のはなし 第4号」(かど創房発行 編集者 三浦功大)の文中、香取正人氏の説は以下の通りです。
国内栽培で疑問のある種 一重の斑蓮。『花蓮』・『蓮の文化史』(前出)の分類でも、一天四海と大名蓮は同一種とされているが、岡山後楽園で栽培されている大名蓮は、不忍池斑蓮や巨椋斑同様、絞りの入り方が少ない。しかし、一天四海は、天竺斑のように大きく絞りが入っている。一天四海は大型種、天竺斑は普通種と大きさの違いで分類されているが、顕著な差は認められない。当園では岡山後楽園のものを後楽園での呼び名どおり「大名蓮」、一般に栽培されている方を一天四海としている。通路を挟んで両者を栽培しているので、その差をご確認頂きたい。どこで、いつから異なってしまったのであろう。 |
2 | 第17回 全国生涯学習フェスティバル まなびピア鳥取2005 のホームページにて 鳥取市湖山池の大名蓮の写真が投稿されています。(湖山池の蓮その1、その2) この写真からいえば、香取正人氏の説通り一天四海とは別種と思われます。 |
以上調べましたところ、まったく異なる特徴であり、やはり別種とするのが自然と思います。
弊園も大名蓮の実物を見たこともないので、大名蓮を栽培されておられる趣味家がいらっしゃいましたら、分譲お願いします。
そして地元の行政機関のホームページでも同一種であるように解説をされており、それだけにこの問題のややこしさが理解できます。
(農林漁業現地情報(鳥取県版) 平成17年度第4号参照。)
今後速やかに蓮に関する解説書を始めとして、訂正して頂きたく思います。
弊園で開花した一天四海 |
番外編
2007/09/19 掲載
第17回 全国生涯学習フェスティバル まなびピア鳥取2005 のホームページにて「湖山池の大名ハス(その4)」として精山吟子様の投稿写真があります。
この解説は大変興味ある内容で「赤い花は突然変異の花です。花弁周囲のみに紫紅斑があり、DNAのためです。」とあります。
このことは大名蓮の突然変異株か、それとも実生による自然発芽によるものか不明なのですが、一天四海もこのようにして大名蓮の中より生まれたものか、それともまったく関係のないものか、今後の研究が待たれます。
いずれにしましても精山吟子様の(その4)の写真は時まさしく大変素晴らしい、本当にグッドタイミングといえる写真です。
精山吟子様にお会いする機会があれば、お話をお聞きしたいと思います。
その1 花ハス「一天四海」と「大名蓮」について 追記1
2009/07/15 掲載
2009年8月14日 大名蓮が待ちに待って咲きました。 |
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左-大名蓮、右-岡山後楽園です。 | 大名蓮、力強く咲きました。 |
結論からいいますと、近年の研究の結果、どうも兄弟のようです。おそらくは「大名蓮」の突然変異が「一天四海」であるようです。
といいますのも、京都花ハス研究会の総会の席上、DNA鑑定の研究報告が中間発表ながら、京都府立大学の先生によりなされました。
その結果、一天四海と大名蓮はDNAが同一であったことです。
とすれば、一天四海は大名蓮の枝変り品種と考えるのが自然かと思います。
ところが、「大名蓮」別名「一天四海」と広く認識されているところから、大名蓮そのものを一天四海と、いつ頃からか呼ばれたのではないかと考えるのです。
現在の大名蓮を大名蓮と呼ばなかったのではないかとも思えます。
ここで話がややこしくなるのが、現在流通している一天四海の出現です。どこで突然変異として出現したかは、今となっては不明ですが、この一天四海の出現が、今日の混迷につながっているようにも考えられるのです。
いつの世でもそうなのでしょうが、何らかの事情により生まれてきた品種が、評価された場合、元からあった品種が作られなくなっていまった事例がたくさんあります。
おそらくは、大名蓮(別名一天四海)の突然変異種が優良個体であったため、広く普及したのではないでしょうか。そしてその名前もそのまま一天四海と呼ばれて今日に至っているようにも思えます。
鳥取湖山池にも、岡山後楽園にも現在の大名蓮のみですから、他所にて突然変異品種が生まれたとも考えられます。
弊園ホームページ、一天四海の解説、番外編に精山吟子様の投稿写真は、大名蓮の変異株そのものですから、現在の一天四海もどこかで生まれたのでしょう。
おそらく地元では、大名蓮と呼ばず、但単にハスはハスであったと思います。
今となって考えられるのは、現在の一天四海がもし生まれて来なかった場合、以前よりあった大名蓮がどう呼ばれつづけられたかと思うと、一つの答えが見つけられたようにも思えます。
その1 花ハス「一天四海」と「大名蓮」について 追記2
2009/08/28 掲載
待ちに待った大名蓮が8月14日に咲きましたが、大型種であるため、開花は遅咲きです。
長年「大名蓮 別名 一天四海」との説を解決したいと思っておりましたが、ここへきてみなさまに納得できる説明ができたかと思います。
今後花ハス(花蓮)を趣味としているみなさまにとって、すっきりとした品種になっていくと思います。
弊園においても、増殖に努めまして、みなさまにより早く分譲できることを願っております。
最後に諸先輩方々の長年に渡るご指導と、心よく蓮根をおわけいただきましたことに対し、この場をお借りしまして、御礼申し上げます。
その1 花ハス「一天四海」と「大名蓮」について 追記3
2009/08/30 掲載
2009年8月30日 少し変わった大名蓮が咲きました。 |
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大名蓮 | 大名蓮の花弁。 |
この開花株は、今春
① 大きな蓮根1株を入手し、30cmポットに植えられる大きさにカットしたところ、4株に分根。
② それぞれ植え込み、4ポットを管理。
③ 今回咲いた株は、2本目の花ですが、1本目は普通の花でした。
④ 気候も涼しくなり、赤花もより濃色に咲いているところから、大名蓮もそのように咲いたのかもしれません。このポットも来年は特に注意して管理したいと思います。
真如蓮についての来歴は定かではありませんが、弊園が現在解説しております解説文は以下のとおりです。
『「渡辺達三著「魅惑の花蓮」の解説によれば、真如蓮は「西円寺青蓮」が伝承されてきた浄土宗西円寺(山口県長門市青海島)に同じように植栽されてきたと聞いております。
「西円寺青蓮」は元々中国廬山の池に植えてあった白蓮(廬山白蓮)の種子を持ち帰り、西円寺にて咲いたことから名づけられた。
この「真如連」も「廬山白蓮」か「西円寺青蓮」の実生の一つではと弊園は考えるのです。」』
真如蓮の来歴は渡辺達三氏の著書に寄るところが大きいのですが、実際に山口県長門市の西円寺にお尋ねしたところ「青蓮(西円寺青蓮)のみ栽培しております。」とのことでした。
それにて当方は調べましたところ西円寺に分院があることがわかり、その分院である法船庵にお尋ねしたところ「庵には青蓮の他に、白蓮と赤蓮の3種が保存されている。」との庵主様のご返事をいただきました。
その白蓮こそ「真如蓮」であったわけです。
その後、各方面に来歴等をお尋ねしましたが、現在のところ不明であります。
弊園が考えるところ、もともと西円寺には3種類の蓮があって、法船庵に分院が建立された折ないしその後に3種類が移植されたものなのか、それとも白蓮と赤蓮は他所より移植されたのか、今後の研究が待たれるところです。
中国古代蓮について、明解な回答が示されている資料がございました。
そして、孫文蓮も中国古代蓮の一種であることがわかりました。
その資料は、
日本郭沫若研究会ホームページ に掲載されております
郭沫若研究会報 2号 http://www2.kumagaku.ac.jp/teacher/guomoruo/kaihou/02/
内の、武継平氏 『郭沫若と「中日友誼蓮」』です。
是非、ご参考にされてください。
その3 中国古代蓮 追記
2008/09/14 掲載
日本で栽培されている中国古代蓮
大正6年、大賀一朗博士が普蘭店(フランテン)にて蓮の実を採取して、開花させたのが中国古代蓮である。
普蘭店の蓮の実は、中国科学院考古学研究室の年代測定で、915+80年と測定されている。
中国で栽培されている中国古代蓮
1980年杭州において開花。種子は普蘭店の泥炭層より出土したものです。大型種とあります。
この2品種について、明解に解説がなされている書物がなく、むしろ同一品種のように解説されているものが多く、さらに公共機関のホームページに同様の解説がされてきたので、長年に渡り混乱を生じてきました。
本来の孫文蓮の特徴が明確に解説されず、その後その存在さえも本当に有ったのかどうかと、疑われるような歴史であったと思います。
大賀博士の実生品種という、極めて歴史が浅く、その存在さえもはっきりしなければならなかったにもかかわらず、不遇な品種といわざるをえませんでした。
弊園でもその混乱から、一時ホームページから抹消しておりましたが、再登載しました。(2008年春)
その特徴は、酔妃に比較して全体に小型という特性をもっており、栽培してみるとその違いがはっきりすると思います。
弊園で開花した左酔妃蓮、右孫文蓮です。 |
その4 追記
2008/08/22 掲載
弊園の酔妃を調べてみました。
親株の酔妃もあちこちで購入しておりましたので、ひょっとしたらと思い、比較しました。
そうすると、葉が比較的小型でまとまったポットがあり、花も小型でした。
おそらく孫文蓮に誤りはなさそうですので、来年更に注意して栽培する予定です。
弊園で開花した左孫文蓮と思われるもの、右酔妃蓮です。 |
その4 追記 2
2008/08/22 掲載
ある研究機関のお客様より、この夏孫文連を御注文いただきました。
弊園では栽培リストにある孫文蓮が、多少疑問が残っており、正式には販売をせずにおりましたが、その旨を伝え、お送り致しました。
ところが、突然に御来園いただき、その上貴重な孫文蓮の資料をお送りいただくやら、無知な小生にご指導いただくばかりで、、感謝の一言です。
そして、その資料「孫文連について-古幡光男著」により、弊園の孫文蓮が誤りでないと考えられました。
孫文蓮についてより
1. | 昭和37年8月7日大賀一朗博士宅に初花が開花した。 |
2. | 田中隆敏氏は大賀一朗博士と協議の上、この蓮の名称を「孫文蓮」と命名したという。 |
3. | 4粒のうち芽を出し、生長したのは1粒だけだったが、紅のように赤い、いわゆる「ツマベニ」で、博士の話では花弁はややこぶりだということ。 |
4. | 昭和37年8月28日、日本工業クラブに於いて蓮の実会主催、孫文連の披露宴が催しされた。孫文蓮の額入カラー写真が席上でくばられた。 |
5. | 昭和38年4月大賀一朗博士自ら、田中隆敏氏宅を訪ね孫文連を植えつけられ、その夏には爪紅のすばらしい花が咲いたとのこと。ところが、翌昭和39年に原因不明のまま消滅してしまったとのこと。当時、大賀博士は病で倒れて入院中であり、蓮園の管理人は委託中の孫文蓮について何も聞かされず、そのまま博士は他界されてしまったとのこと。 |
6. | 博士亡き後、孫文蓮は行方不明となったのですが、博士他界の前後において、孫文蓮に関し、その形態等について詳細な観察記録が無く、単に爪紅の一重咲き花弁で、酔妃蓮の花より小振りであり、酔妃蓮と同類とのみ言われてきた。(大賀博士評) |
7. | 昭和44年7月20日、東京大学農学部園芸植物実験所で大賀博士「遺愛の蓮」の観察会が開催され、その中に孫文蓮があったとのこと。 |
8. | 田中家へ戻った「孫文蓮」は阪本祐二氏が保存しておられたものを分根されたのである。実験所の観察会の席上、阪本祐二氏は『「孫文蓮」は「酔妃蓮」と同種である』と付け加えられた。 |
9. | 後々「酔妃蓮」=「孫文蓮」との解説が今日の混迷している大きな原因となっていると理解できます。 |
10. | 弊園の解説にある通り、「酔妃蓮」は江戸時代には、すでに日本で栽培されており、「孫文蓮」は大賀博士育成の品種であることから、別品種であることは容易に理解できるはずです。今考えるに、両品種ともに種子はフランテンより出土したのではないだろうかと考える次第です。 |
1.現在即非蓮として流通されている即非蓮と弊園で栽培している即非蓮に少し違いがあるように思い、
昨年平成22年に本家である宇治万福寺にお訪ねしました。
2.ところが意に反して境内に咲いている即非蓮は一般に流通している即非蓮でした。
3.この花を見て思ったことは朱君蓮、姫万里に良く似た花型、花色であることに気がつきました。
4.朱君蓮、姫万里は中国より種を持ち帰り、発芽させた品種であり、その特徴からおそらくは
中国では標準的な野生品種と考えられます。そして朱君蓮より更に種子を採り、育てた花は
朱君蓮そっくりとのことですから、ほぼその考えに誤りは無いと思います。
5.即非蓮も2種類が存在しており、中国より伝来されたことを考えると、その実生品種が現在流通
している実生即非蓮と考えられました。
6.ではなぜ2種類が存在しているのか、その疑問を解決してくれたのが宇治万福寺にありました。
おそらくは即非が将来したいわゆる即非蓮を長年、池にて植えられた結果、種子ができ、
それが池の中で発芽したものと思われます。その実生である蓮根を掘り上げ、即非蓮として
育て始めたことが誤りの始まりであったと考えるのが自然かと思います。
7.それ由 朱君蓮、姫万里、実生即非蓮は先祖返りしたものであると考えられます。
ところが中国の野生種は長年に渡り我国に将来されたことが無いようであり、それが反って
新鮮に思え、人気があるのも野生種の美しさかもしれません。
以上のように考えるのが整合性あるように思えます。
即非蓮 | |
実生 即非蓮
一般的に流通している即非蓮 |
実生 即非蓮
現 萬福寺に飾られていた即非蓮 |
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